火力の強さと持続性はダントツ、灰も少ない備長炭。
御坊インターチェンジから30分ほど車を走らせたところにある、田中さんの炭焼き小屋。奥にそびえ立つ窯が迫力満点です。
備長炭といえば、打ちつければ高い金属音が鳴るほど、炭素が結晶化しているのが特長。バーベキューなどで使われる「黒炭」とは、燃え方もパワーも違います。小屋で暖をとるために熾してある備長炭は、まるでネオンのように炭全体が赤く発光しながら熱を放ち、その美しさに思わず目が釘付けに。
「備長炭は火はつきにくいけども、火力が強いし火持ちがよくて簡単には消えん。ふつうの黒炭はやわこい(柔らかい)さかい、そうはいかんのや。焼き鳥屋とか商売でつこうてるところで聞くと、1回火が起きたら長いこともつから、かえって安いもんや、って言うてたな」
火持ちのよさに加えて、灰が少ないのも備長炭の魅力。これだけ上質な硬質炭ができる理由のひとつは、原料であるウバメガシ。繊維が緻密で硬く、建築材には向きませんが炭にするには最高の素材なのです。
「だいたい樹齢25年ぐらいのを使うことが多いかな。伐採も自分で山に入ってチェーンソー使ってやるんやで。それから木は自然のもんやから曲がっとるやろ。それを切り込み入れて、コミ(木っ端)をかましてまっすぐに伸ばすんよ。そうせんと、窯詰めがきっちりいかんからな。よその産地は窯の中に木を寝かして入れるけども、紀州は立てて詰める。それも木の根元を下に、逆さにして詰めるんや。そうすると木の水分がよう抜けるから。昔の人は賢かったんやな。」
窯に入れる本数は約500本、合計4トン。窯の入り口には人ひとり通れるだけの穴が開いていて、そこを何往復もしながら手で窯に木を詰めていきます。まだ前の炭焼きの熱が残っているうちに行わなければならないため、重さ・暑さと闘いながらの重労働です。
自作の窯と向き合い、火を操り、時を待つ。
炭焼きに使う窯は、職人それぞれが自分でつくるもの。石を積み、練り土で塗り固め、ドーム状の天井までつくる大仕事です。
「炭焼きとして一人前になるには、窯をつくれるようにならんとあかん。いろんな人の手伝いをさせてもらいながら覚えて、窯に合う強い土や石も選べるようにならんと。自分も全部ひとりでできるようになるまでに20年はかかったわな。」
そんな自作の窯にウバメガシを詰めたら、まずは「口焚き」。足元に30センチ四方のスペースだけ空けて入り口をふさぎ、その開口部で焚火をします。じわじわ窯内部の温度を上げて、蒸し焼きのような状態を3~4日続けると、木の水分が蒸発してカラカラになり、次に始まる「炭化」の準備が整います。
「煙の色が変わって焦げたような匂いがし始めたら、炭化が始まっとるしるしやから、入り口をふさいでしもて、そっからまた3~4日焼く。」
入り口をふさぐということは、窯の中を酸欠状態にするということ。これにより木は発火点を過ぎても燃え上がることなく、炭に姿を変えていきます。
「炭化しきったら、線香みたいな黒炭の状態になるから、今度はそこから窯の口を少しずつ開けてじわじわ空気を入れていって、カンカンに赤くするんよ。これが“ねらし”。“アラシ”とも言うな。だいたい30分に1回ぐらいずつ、窯の口を広げていく。これを24時間かけて、泊まり込みでやるんや。」
赤く燃え盛る火が1200℃近くにも達するという、この「ねらし」の工程は、備長炭特有のもの。バーベキューなどで使うやわらかい黒炭は、窯の中で炭化させたらそのまま冷まして完成ですが、備長炭はこの最後の焼き締めを行うことで、キーンと金属音の鳴る硬質炭になるのです。
脈々と続いてきた炭焼きの伝統を、次世代にも。
こうして焼き上がった炭は、「エブリ」と呼ばれる長い鉄の熊手で掻きだし、素灰(すばい)にうずめて冷まします。これも休み休みしながら、丸1日8時間がかり。田中さんの筋肉隆々の上半身が、その重労働ぶりを物語っています。
「やっぱり窯から出す瞬間が一番楽しいな。何度やっても毎回違うさかい、どんな炭になったかなあいうて見るんや。」
最近は炭焼き職人を志して都会から移住してくる人もあり、田中さんもこれまでに5~6人は教え育てたといいます。 そもそも備長炭という呼び名は、江戸時代の元禄年間に、紀州藩で炭問屋を営んでいた備長屋長左衛門なる人物に由来しているのだとか。この炭問屋こそ、「紀州備長炭」の名を一躍有名にした立役者といわれており、そこから考えると、備長炭は約300年にわたって日本の炭の王様だったのですね。
知れば知るほど奥が深く、昔の人の叡智に感嘆せずにはいられない備長炭。これからも「鳴海屋プレミアム」に欠かせない存在として、大切に生かしていきたいと思うのでした。