生命の原点に立ち返って、塩と向き合う。
末澤さんの製塩所があるのは、夕日の眺めが美しい淡路島の西海岸。塩づくりに適した土地を探して、神戸や赤穂も訪ね歩いたという末澤さんが、この地と運命の出会いを果たしたのは2012年のことでした。
「もともと“身土不二(人の体は暮らしている土地につくられているという教え)”の考えに惹かれていたので、自分の出身地である兵庫県で製塩をやりたかったんですね。方々探し回っても場所が見つからなくて、とうとう淡路島に渡ってきたんですが、ある日ここの神社の前にいたおばあさんに声をかけたら、その方が地主さんで、この場所を貸していただけることになったんです。」
塩づくりの生命線は「どこで取水するか」。海のそばでなくてはならないのは当然ですが、川と山に近いことも大切なのです。山に降った雨がミネラル豊かな伏流水になって海に流れ込むからですが、かといって川との距離が近すぎて汽水域(海水と淡水が混じり合う領域)になるのも、末澤さんのめざす塩づくりにはよろしくないのだとか。そんな数々の条件に適合する土地に拠点を構え、塩づくりに向き合ってもう10年になります。
元々はサラリーマンで飲食の店舗や業態の開発をしていた末澤さん。一時は自分の店を持って独立する寸前まで行ったそうです。しかしある時、「食べる」とか「生きる」という原点に立ち返るような出来事があり、改めて気づいたのが、水と塩の大切さでした。
「塩でやっていきたい、と決めてから3〜4年は、自然に寄り添った製塩を小規模で行っている方々を全国各地に訪ね歩いて、勉強させてもらいました。今やっているのは、そこで学んだことを自分なりにハイブリッドにしたもの。儲けなくてもいいから、ちゃんと人に喜んでもらえるものを、自分の手でなりわいとしてつくり続けていきたいんです。」
栄養豊かな満潮時の海水を汲み上げて、丁寧に濃縮。
末澤さんの「自凝雫塩(おのころしずくしお)」づくりは、まずミネラル分が底から上がってくる満潮時に海水を汲むことから。汲んだ海水は、マイクロフィルターで濾過してマイクロプラスチックなど不純物を取り除いてから、「逆浸透膜」という装置を使って塩分濃度を6〜7%程度にまで高めます。このプロセスを踏むのは、天日にさらす時間を短縮するため。海水は長期間天日にさらすほどミネラルが飛んでしまうからだと末澤さんは話します。
「日本は雨が多いがゆえに、海水を煮て塩をつくるようになった、世界でも珍しい国です。海水には、塩化ナトリウムを中心に80種類もの成分が含まれていますが、海外で採れる岩塩は、長い年月をかけて海の塩分が結晶化したものなので、そういった成分がほとんど消えてしまっているんですよ。」
「逆浸透膜」で濃度を上げた海水は、ジャバラ状に幕が張られた流下式装置に移され、天日干しの工程へ。海水が上から下へとぐるぐる回りながら流れるうちに、風と日光で水分が蒸発して濃縮されていきます。十分に塩分濃度の高まった「かん水」ができあがるまで、約2週間から1ヶ月ほど。ここまでやってようやく釜炊き作業に入れるのです。
人の体が記憶している古代海水をイメージして。
昔ながらの薪と鉄釜を使って行う末澤さんの釜炊き。まず最初は「沸騰釜」で蓋をせず約30時間どんどん煮立たせます。次に「仕上げ釜」に移して蓋をし、おき火でさらに約30時間加熱して塩を結晶化させながら粒目を整えて行くのです。これらのやり方は、すべて末澤さんのめざす「理想の塩」から導き出されたもの。ミネラルやにがりをどこまで残すか、栄養と味わいのベストバランスを考える上でモノサシにしているのが「古代海水」です。
「人って体の中に海を持ってるって言いますよね。人の舌が一番おいしく感じる塩分濃度って0.8%と言われていますが、それって現在の海水と比べるとずいぶん低い。何と同じかっていうと、僕たちの血液やお母さんの羊水、それから大昔にプランクトンが誕生した時の海の塩分濃度なんです。だから塩を採った時に、体の中で古代の海が再現されたらいいなと思って塩づくりをしています。たとえばうちで鉄鍋を使うのは、現在の海には含まれない鉄分が、古代海水には豊富にあったから、その鉄分を補うためなんです。」
何億年も前の古代海水をイメージして塩づくりに取り組んでいたなんて!と驚く私たちの前に差し出されたのは、きらきらとしたピラミッドを形成している塩の結晶。初めて見る塩の神秘に一同びっくりです。塩の結晶の形は温度や製法、産地によっても変わる、という話にはさらに驚かされます。
こうして煮上がった塩は、杉樽に入れて1日寝かせてから、ふるいにかけて粒目を2mmに揃えます。この粒目こそ、末澤さんが試行錯誤を経てたどり着いた最適解。粒がやや大きめだから、舌でゆっくり溶けてしょっぱさがやさしく広がり、きつい刺激を感じません。
「塩は面白いですよ、毎回同じようにやっているつもりでも、できあがりは微妙に違うし、自然には勝てないということもよくわかる。以前は玄米菜食主義を実践していて、食べるものにも厳格にこだわったりしていたのですが、今はこれがダメ、あれがダメ、と自分の幅を狭くするよりは、日々機嫌よくいられることを大事にしたいなと思っています。そう思うようになったのも淡路島に来てからですね。」
そう話す末澤さんのまなざしは、その手から生まれる塩の味わいとも響き合うように、大らかであたたかく、まっすぐなのでした。